ユカリの雑記帳

ジャンプの感想をメインに書いてます

呪術廻戦75話、五条悟は完全に実力のある厨二病の境地に辿り着いてしまった(週刊少年ジャンプ感想/2019年42号)

呪術廻戦

 

今週の呪術廻戦、兎にも角にもキレッキレ過ぎる。何もかもがうまい。

 

まず台詞回しが滅茶苦茶うまいですよね。

 

「ごめん天内 俺は今オマエのために怒ってない。 誰も憎んじゃいない」

「今はただただ この世界が心地よい」

 

 

「自分を肯定するために いつもに自分を曲げちまった」

「その時点で 負けていた」

 

この辺り、言葉選びがセンスに溢れていてすごくカッコいいんですよね。キレッキレというか、厨二病的世界観にガンガン響く言葉をうまく拾っているというか。

 

もう五条先生が完全に実力のある厨二病の極みみたいなことになってて、ただただカッコいい。ポーズも台詞もおしゃれすぎる。

 

 

そして何より上手いなと思ったのが、読んでていつの間にか伏黒パパ視点になってることですね。

 

伏黒パパ、どうしようもないクズ野郎ではあるけれど、それはそれとして信念やそこに至る過程がきちんと描写されてて、最終的に憎みきれない所に落ち着いたのは凄かった。

 

冷静に考えると、夏油の人生が変わったのもこいつの影響あるだろうし(多分)、天内もメイドも殺されてるし(多分)、恵とかの人生も滅茶苦茶にしてるクソ野郎なんだけどね……。

 

それでも、伏黒パパの回想シーンがあったわけじゃないのに、台詞とほんの数コマの過去シーンだけで彼の人となりが伝わってくるのは本当に凄いと思いました。

 

ななみんvs真人(一戦目)の時にも思ったんですが、呪術廻戦の台詞は、そのキャラクターの過去や信念、置かれている状況なんかをうまく掬い取って表現してるんですよね。

 

しかもそれを短くオシャレな言い回しに纏めるんだから本当に凄い。過去編はそこら辺もキレッキレでした。

 

 

しかし結局、どうして夏油が一般人を虐殺するに至るのか全くわからなかったし、これからどうなるんでしょうね……。

 

あ、あと、虚式の説明はまるで意味わからなかったです。なんで無限と無限を重ねると仮想の質量ができるの?

 

 

呪術廻戦73話、芥見先生は過去編の使い方が上手すぎる(週刊少年ジャンプ感想/2019年40号)

 

呪術とゆらぎ荘の感想です。ネタバレ注意。

 

呪術廻戦

 


※零巻のネタバレを含みます

 


伏黒父の飼っている呪霊を取り込もうとして失敗したのは、零巻で言われていた「主従関係にある呪霊は取り込めない」という制約が理由っぽいですね。

 

これでようやく零巻で夏油が「本当は主従関係にある呪霊でも首をすげ替えれば取り込める」「学生時代についた嘘をまだ信じていたとは」と言っていたことと繋がりました。

 

今まで「夏油は学生時代から嘘ついてたんだよな」って所がずっと引っかかってたんですが、そもそも呪霊操術における制約を知ったのがこの時だったんですね。

 

そして、その制約を「首をすげ替えれば大丈夫」と知るのも結構後だったと。それなら夏油がこの時点で闇落ちしてなくても何もおかしくない。

 

ずっと学生夏油を窺った目で見ててごめんね……。

 

この過去編で、この後夏油が闇に落ちるまでにどれだけの苦悩があったのかが妄想できるようになりました。

 

それを考えると、夏油の事がグッと好きになりますね。彼はどれだけ心を折られるんだろうか。強く生きて欲しい。

 


しかし、改めて見ても呪術廻戦は過去編の使い方が滅茶苦茶上手いですね。

 

現在の時間軸との差異を登場人物に散りばめたり、それをさり気ないやり取りで気付かせる、といった所も勿論上手かったんですけれど。

 

現在との差異の説明になりそうな情報を出しつつ肝心なところに触れなかったりとか、現在で生きている五条をあれだけ徹底的に殺す事で読者の疑問を生んだりとか。

 

徹底的に「現在の時間軸が描写されているからできるとこ」をやり続けてる。本当に芥見先生は過去編の使い方が上手いなって思います。

 

 

来週は、あれだけ殺されて何故か息のある五条先生の秘密が明かされるんですかね?

 

本当に謎なので滅茶苦茶楽しみです。

 


ゆらぎ荘の幽奈さん

 

最近(?)の幽奈さんは真面目に能力バトルモノをやってて面白いですね。

 

前回のじゃんけんバトルも面白かったし、今回の運動会もそれぞれの固有能力を活かして立ち回ってくれそうです。とても楽しみ。

 

運動会となるとシンプルに神速活躍の場面が多そうですがどうなんでしょうね。

 


しかしそれはそれとして、ミウラ先生本当にコガラシくんを無機物化させるの大好きですよね……。

 

健全な青少年を己の性癖に落とそうとする意志(?)が伝わってきて相変わらず凄いなって思います。

 

前回のヒロインおっさん化とか。本当に幽奈さんは性癖歪ませ作品がすぎる……。

 

 

天気の子、考察。あの世界で『天気』はなんのメタファーだったんだろう?(ネタバレあり)




天気の子、見てきました。個人的には滅茶苦茶面白かったので、ガッツリネタバレを含めた考察を書きます。

 

ネタバレしかないので、まだ見てない方は十分に注意してください。

 


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天気の子は、「社会に必要なもの以外認めない世界」を否定し、「ムダが許される世界」で、ほだかとひなが「小さな幸せ」を得る物語だと思います。

 


●主人公たちは、なんなのか

 

まず、昨日友人と話していて、天気の子は「大人と子供の対立」じゃないかと言われました。

 

なるほどと思ったんですけど、じゃあなんで主人公陣営にスガという42歳の男がいたんでしょう?

 

もし大人と子供の対立だとしたら、約束のネバーランドみたいに大人を排除した子供だけの陣営を作ればよかったのではないでしょうか?

 

 

じゃあ主人公陣営に共通する部分ってなんだろう? と考えたときに見えてくるのは

 

「便利さを求める社会に“必要”とされていないこと」

 

ではないでしょうか。

 

ほだかは「自分の住んでいる場所」に「生きづらさ」を抱えています。


ひなもまた、「バイト」という「社会に必要とされる場所」からはじき出されています。


スガは「ムーのライター」という滅茶苦茶マニアックな仕事をしてますし、なつみは「就職活動」に失敗し続けています。

 

そもそも、「子供」って今すぐ社会に必要なわけじゃないです。


未来を豊かにし得るけど、「今」だけを見たらコストがかかるだけの存在。

 

 

つまるところ、彼らは「普通の社会」にとって必要とされるピース(社会的マジョリティ)ではないわけです。 

 

故に、彼らは生きづらさを抱え、「貧しさ」の中で生きています。社会に必要とされない以上、お金があるはずもないです。


裕福な人は一人もいない。

 


そして、主人公ほだかに感情移入がしにくく作られているのも、同じ理由からだと思います。


ほだかは「何故家出をしたのか」が結局のところ描かれていません。主人公に感情移入させたいなら、その描写は必要だったと思います。


さらに、終盤は「狂人か?」と思うような行動を取ります。

 

 

これらは、「社会に必要とされている人々」から見た「社会に必要とされない人」の姿ではないかと思うのです。

 

だからこそ、感想において「主人公が無理」という意見が多かったのではないかと思います。

 

 

●天気は何を表しているのか?


ここから少し話を変えて、「天気」の話に移ります。

 

最初、東京に雨が降り続いていますが、その事はあまり否定的に書かれていません。


ほだかは船の上で雨にうたれて笑ってますし、猫という可愛い生命体の名前もアメです。


雨の降り続ける東京で、ほだかは「苦しさが減った」というようなことを言っています。


つまり、作中で雨は否定されているものではないのです。

 

 

むしろ、作中で否定的に描かれていたのは、ひなが人柱になって作られた「完全なる快晴」です。

 

この「完全なる快晴」は、ひなとほだかがお天気サービスで作ってきた、「雨の中の小さな晴れ」とは別物として描かれています。光の量、範囲ともに明らかに格が違います。ついでに温度も滅茶苦茶上がりました。

 

 

じゃあ、これらの天気はなんのメタファーなんでしょう?

 

 

私は

 

「雨の世界」は「少し不便でムダが許される世界」

 

「雨の中の小さな晴れ」は「少し不便な世界にある、小さな幸せ」

 

「完全なる快晴」は「過剰な便利さや過剰な幸せを求め、社会に必要とされないムダを排除する世界」  

 

これらのメタファーとして描かれていたのではないかと思います。

 


まず「雨の世界」ですが、基本ちょっと不便です。傘をささなきゃいけないし、濡れるし、あまり良いことはありません。

 

でもその世界では、「快晴の世界」では必要とされない傘やカッパの存在が許されます。

 

つまり、「快晴の世界」ではただのムダなものが、「雨の世界」だと存在を許されるわけですね。

 


こう考えると、猫に「アメ」という名前がついている理由もわかります。

 

なにせ、猫は人間が生きていくだけなら必要のないものです。

 

それどころか、居るだけで世話もしなきゃいけない、餌をやらなきゃいけないとやたら大変です。


明らかに、「ムダ」なものでしょう。

 

でも、猫は可愛いです。癒やされます。世話をしなきゃいけない「少しの不便」も、生きていくのに必要ない「ムダ」も猫の可愛さの前では吹っ飛びます。


だからこそ、猫に「雨の世界」という、「少し不便でムダが許される世界」の名前がつけられたんじゃないかなーと思います。

 

そして、そんな「ちょっと不便な世界」における「小さな幸せ」が、作中ではお天気ビジネスで作られる「雨の中の小さな晴れ」だったのだと思います。

 

この晴れは範囲も狭く、温度を上げるほどの光量もありませんが、そこにいる人々を幸せにしています。

 

お天気ビジネスに温かさを感じた人も多かったのではないでしょうか?

 


では、ひなが人柱になった「完全なる快晴」はどうでしょうか。


喜んでいる人たちはいます。警察の人々やツイッターで喝采を上げる人々。


しかし、ほだかやスガ、ナギ、なつみに笑顔はありません。ひなに至っては人柱です。

 

最初に主人公陣営は「社会に必要とされていない人たち」だと書きました。その存在たちは皆一様に「快晴の世界」に叩き潰されます。

 

私は「完全なる快晴」の世界は、「過剰な便利さや過剰な幸せを求め、社会に必要とされないムダを排除する世界」だと考えています。

 

「過剰さ」は、圧倒的な光量や範囲で描かれています。お天気ビジネスでの「小さな幸せ」と比べても、明らかにあの光量は過剰です。温度も上がりますし。

 

そして、あの世界ではカッパや傘といった無駄なものはきれいに排除されています。「雨の世界」では存在が許されても、「快晴の世界」ではただのムダですからね。

 

そういった「その社会に必要とされている」ものしか認めない社会が、「完全なる快晴」の世界なのではないでしょうか。

 

私の頭によぎるものがありました。「必要ない公務員は削る」「役に立たない研究などいらない」……それ以外にも色々。ムダが許されない社会は、決して遠い世界ではありません。

 

 

そんな「完全なる快晴」の世界では、「社会のムダ」は生きていけません。

 

その世界では「ほだか」という「社会に必要とされない存在」など、ただの狂人でしかないのです。

 

ひなが消えてしまったのも、その世界に「ひな」という存在は居られないから消えたのでは? と思います。

 

それに加えて、ムーとかいう社会にとってクソの役にもたたない雑誌も廃れていくわけです(スガの事務所が水浸しになるシーンからもそう読み取れます)。

 

 

だからこそ、ラスト、ひなの存在を願って「雨の世界」を叩き付けたのは、「少し不便で、無駄が許される世界」でないと、ひなのような人は存在できないってことを伝えたかったからではないかと思います。

 

「雨の世界」を叩き付けたのは「セカイ系」のように「世界とひなを天秤にかけた結果」ではなく、「今の世界で生きてけないから、世界のあり方を変更した」ということではないかと思います。


そもそも世界とひなを天秤にかけた代償が三年の雨ってあまりに安すぎるし、ほだかくんも「世界と彼女はどっちが大切か」なんて葛藤してないし。

 

だからこそ、「セカイとカノジョ」を天秤にかけて選び取る「セカイ系」の文脈で考えると、明らかに文脈が狂っているわけです。

 

それもふまえて、「セカイを壊した」といった表現ではなく「セカイのあり方を変えた」と表現されたのではないかと思います。

 

そしてそもそも、世界を壊すことは新海先生にはできなかったんじゃないかと思います。


言うまでもなく、地球規模で見たらほだかやひなよりももっと大変な人たちがいます。 

 

日本という国である程度の便利さを享受している人間にとっては、壊せるものはアレが限界だったのではないかと思いました。

 


●世界のあり方が変わった後。ラストシーンの意味とは?

 

こうして「雨の世界」になって時がたち、人々も「雨の世界」になれてきました。


道行く人たちも傘を指しながら笑い合っていて、明らかに「少しの不便」が許容されてきています。

 

そうやって「少し不便な世界」が許されるようになったことで、世界の在り方はたしかに変わったと思います。

 

 

水上バスという「快晴の世界ではムダなもの」が使われるようになりました。


「過剰な便利さや幸せ」を求めて埋め立てられてきた場所が海へと戻りました。


そして、ムダの塊みたいな「ムーの記事を書く仕事」をしていたスガの会社が大きくなりました。

 

 

これらは、ムダを排除していく「快晴の世界」ではまずあり得なかったことでしょう。

 

 

その中で、最後にひなとほだかは再開するわけです。

 

そのシーンで晴れたことに疑問を持つ人もいるかと思います。「あんなに簡単に晴れていいのか?」と。

 

でも、あのシーンで空が明るくなったのは、「快晴の世界」が戻ってきたわけではありません。


あの晴れはお天気ビジネスでやっていたときと同じ、「雨の中の小さな晴れ」。


つまり、「普段は少し不便な世界にある、ちょっとした幸せ」の象徴として空は明るくなったのです。

 

社会に必要とされていなかった二人は、「ムダが許されるようになった世界」において存在が許され、最後に再会という「小さな幸せ」を感じて終わる。


「天気の子」とはそういう話だったのではないでしょうか。

 

(終)

 

このクソ長い文章を最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

 

 

 

ぼくたちは勉強ができない114話、緒方理珠の「自分が嫌い」という言葉には色々なものが詰まってる(週刊少年ジャンプ感想/2019年28号)

ぼくたちは勉強ができない

 

センター試験一か月前だというのに勉強せずにうどん食べてる登場人物たちは流石というかなんというか。試験の前に勉強せずに別のことをやりたくなってしまうのは悲しい人間の性なんで仕方ないと言えば仕方ないんですが。

 

それにしても、今まで成幸のコスプレに対して過剰に反応するキャラクターと言えばうるかだったわけですが、今週はさらっと文乃がその枠に入ってきていて、いやもう君成幸への気持ち隠す気ないよね……、という気持ちに。

 

リズの胸をチラ見してしまって視線を逸らす成幸君を見たら、かつての文乃だったら「うぅ、巨乳め! ファッキンだよ!」くらいは思いつつも、うるかがどういう反応をするかに注意を向けていたでしょうに。いつの間にやらうるかと共に負のオーラを放つように。これが成長なのかどうかはわかりませんが、文乃の気持ちも確実に変化しているとわかる良い一話でしたね。

 

他のキャラから突っ込まれることはないですけど、最近は常に「成幸君」と名前で呼んでますし、どうにも文乃は「自分の気持ちを隠す」というよりは「成幸と距離が近づきすぎてしまったときに友情を思い出してブレーキがかかる」感じみたいですね。……いやまあ思い返すと大抵の場面でそのブレーキはぶっ壊れてるか存在を忘れ去られていたような気がしますが、それだけ成幸への気持ちが大きくなってきたということなんでしょう。

 

このままいくと勢いで成幸と付き合った後、「しまった、二人の気持ちが!」なんて言い出す文乃が見れる日が来るのかもしれないですね。

 

 

と、文乃の話はここまでにして、今回から始まったリズルートの話でもしましょう。

 

私はりずの性質的に「個別の話を作りづらいんじゃないか」と思ってたんですけど、こういう方向で個別ルートが来るんですね。

 

今週明かされたりずの気持ちですが、「自分が嫌い」と言い出したのはすごく納得しました。というのも、彼女の夢だけ「現在の自分の否定」なんですよね。

 

例えば、うるかは「水泳が好きだから更なる高みに行きたい」という夢を持っていますし、文乃は「かつて母と夢見た新しい星を探したい」という夢を持っています。小美浪先輩は「診療所を継ぎたい」ですね。この三人は憧れや好きなものに対してぶつかっていく、言うならば「今の自分にプラスする夢」となっています

 

この三人の夢と比べて、りずの夢は「(今の自分では分からない)人の気持ちが分かるようになりたい」というものです。彼女の持つ夢は、「できていないのが嫌だからこそできるようになりたい」という方向の夢なんですよね。いうならば「自分のマイナスをなくす夢」。やりたいことがあるというよりも、「できない自分を何とかしたい」というもっと切実な夢だと思います。私自身こういう夢をモチベーションに生きてきたので、りずの気持ちぼんやりとわかります。

 

だからこそ、彼女が「自分が嫌い」という方向で話を持ってきたのがすごくよくわかるし、この一言は、初期から一貫して描かれてきた「人の気持ちが分かるようになりたい」という願いともリンクしているなと思います。彼女は「人の気持ちがわからない自分が嫌い」なんでしょう。日本社会は「人の気持ちが分からない」人への当たりがきついですし、彼女自身そのことで嫌な思いをすることも多かったのでしょう。煽り文では「意外な一言」と書かれていましたけど、よくよく考えると意外でも何でもないんですよね。

 

そのうえで、彼女が「自分が嫌い」というのを言語化できるようになったことは、ひとつ大きな成長だと思うんですよ。

 

未だに彼女は周囲から自分への好意に対して無自覚ですが、それでも自分の気持ちだけでもわかるようになっただけで大きな変化でしょう。なにせかつてはキスに対して首をひねっていたくらいなんですから。

 

ついでに言うならば、この「自分が嫌い」という一言から始まるりずの個別ルートは、りずの内面へと深く踏み込む話になるというわけで。つまり、りずの中で今大きな存在となりつつある「成幸への恋心」にも触れられる話となっていくのではないか、と思っています。未だに彼女は成幸への気持ちを自覚してるんだかしてないんだかよくわからない状態ですし、そのあたりにも触れられるんじゃないでしょうか。

 

というわけで、いよいよもって始まったりず個別ルート。導入の仕方が意外だけど納得するような形だったので、今後の展開が非常に楽しみです。

 

五等分の花嫁 新宿POP UP SHOPで謎解きゲームやってきました(日記)

 

本日は【五等分の花嫁 POP UP SHOP in 新宿マルイ アネックスver.2】 に行ってきました。

 

 

これですね。本当はスタートした当日に行きたかったんですがどうにもならず、今日ようやく行くことができました。大変うれしい。

 

「五等分の花嫁」はマガジン作品なんですが、前クールのアニメを何故か6話から見てドはまりし、最近はずっと「五等分の花嫁……五等分の花嫁……」と呟くヤバい人になってます。いや本当に面白い。

 

「五等分の花嫁」は、勉強できない五つ子たちに主人公の風太郎君が勉強を教えるという、あらすじだけ見ると「ぼくたちは勉強ができない」と似たような感じのラブコメです(中身は全然違いますが)。ちなみに私は、ぼく勉は読んでて幸せになれる作品で、五等分の花嫁は読んでて楽しくなれる作品だと思ってます。あと作者の先生方がとても仲良いです。

 

というわけで、今週用事にまみれていた私はジャンプの感想を放り投げ、「ヒャッハー五等分だー!」と叫びながらイベントに行ってきました

 

 

さて、「五等分の花嫁 POP UP SHOP」ですが。

 

個人的な感想として、メチャクチャ謎解きイベントが面白かったです

 

いやなんと驚くことに、このイベント、物販だけでなくリアル謎解きゲームできるんですよね。参加するためには物販で売っているクリアファイルを買うだけ。おひとつ1620円(税込み)。

 

クリアファイルに1620円!? と思うかもしれませんが、謎解きした後なら「なるほど納得の値段だ」となるかと思われます。少なくとも私はそうなりました。

 

本当に、肝心の謎解きのクオリティがとても良い。

 

正直舐めてた部分があって、「そこまで謎解きのクオリティは高くないのでは?」なんて思っていたのですが、全くそんな事はありませんでした。

 

むしろ凄くバランスが良くて、普段謎解きをしない私でもちゃんと解ける。が、かといって簡単すぎるわけでもなく、きちんと悩んだうえで答えにたどり着ける歯応えのある内容でした。単純に楽しい。

 

難易度としては、伝わるかはわかりませんが某グランブルーファンタジーの「謎ブル」より少し簡単め、といった感じでした。

 

そして何より、原作ファンが思わず唸る仕掛けがあって、そこから原作リスペクトしか感じないんですよね。本当に五つ子愛に溢れた謎解きゲームでした

 

 

ちなみに謎解きは苦手だーって人も安心で、しっかりとしたヒントが用意されています。私個人の感想としては、ヒントを見ればちゃんと解けるなって感じでした。

 

もしかしたら普段謎解きをしまくっている人達だと物足りなく感じるかもしれませんが、そこは「へっへっへっ、俺達にかかれば楽勝だぜ!」みたいな楽しみ方ができるので大丈夫だと思われます。

 

兎にも角にも謎解きが本当に素晴らしく、あれだけ楽しめてクリアファイルまで貰えてあのお値段はとてもお得だと思います。所要時間90分。とても楽しい時間でした。

 

ついでに四葉のボールペンも買ったので、しばらくは四葉ボールペンで色々書けそうです。嬉しい。

 

 

6月2日までしかやっていないので、迷っている人は是非行くことをオススメしますよ!

 

ぼくたちは勉強ができない111話、真冬先生がお母様のセリフを覚えていたのがただただ感慨深い(週刊少年ジャンプ感想/2019年25号)

  • ぼくたちは勉強ができない

 

今週は真冬先生回。今回出てきた不動産会社名が「矢羽井不動産」でしたが、本当にヤバイところでしたね。いやまあこのネーミングセンスも十分ヤバいんですが、まさかぼく勉世界でオカルトを目にすることになるとは思いませんでしたよ……。

 

先週の予告には「桐須先生の新居探しに成幸も同行するが……」と書かれていて、「いつの間に二人は新婚になったんだ?」とか思ったもんですが、いざ新居探しが始まるとやはりラブラブしていて本当に新婚って感じでしたね。

 

今回はやっぱり、年上な真冬先生ならではの良さがすごく詰まっていたと思います。他のヒロインズでは出せない空気感が真冬先生にはあるんですよね。

 

部屋の内検を淡々としながら、そのコツについて成幸君に語るシーンなんかはやっぱり真冬先生じゃなきゃできないでしょう。「なんだかんだで年上として張り切ってるんだろうな」と思うと大変ほほえましいです。この、一見淡々なやり取りに見えてよくよく考えると普通にイチャイチャしてる、という流れは好きです。

 

そして幽霊におびえる成幸君とそれに全く気が付かない真冬先生のコントもとても面白い。真冬先生、あんな状況で平然としていられるのは流石ですね。心霊現象にまったく動じてないのに成幸くんに抱き着かれたら動転するのも含めてとても良かったです。

 

 

そのうえで、やはり今週一番ツボだったシーンは幽霊にビビった成幸君が真冬先生に抱き着くシーンですね。

 

それまで淡々としていた真冬先生が真っ赤になりながら慌てふためくシーンもさることながら、そのあとの「駄目! お母さんの言葉を忘れたの!? 最低限! ちゃんと卒…ッ」というセリフが大変良い

 

こんな風に、迫られたと勘違いして慌てるのは真冬先生の伝統芸ですが、あのセリフにはグッときます。

 

確かにお母様は106話で「そういうのはせめて!! せめてしっかり卒業してからに…」と言ってます。言ってはいるんですが、このシーンはあまりにドタバタしてて「よっぽど意識していないとこの言葉は記憶に残らない」はずなんですよね。

 

お母様のセリフがいつ出たかというと、真冬先生が家庭訪問をしている時、さらに言うなら成幸くんが「教育大学に行きたい」ということを親に告白するシーンにおいてです。普通なら成幸君の告白に意識が引っ張られて忘れます。ついでに言うならば、その後も「お父様の遺産があった」「唐突にほかのヒロインズが現れた」と怒涛の展開があったわけです。これらを踏まえても「よほど意識しなければ記憶に残らない」と言ってもいいでしょう。

 

しかし真冬先生はそんなお母様のセリフをしっかり覚えていた、ということがあのセリフからわかります。そのうえで、さらに突っ込むなら、真冬先生にとって成幸君を拒む理由はもう「卒業していないこと」しかない訳です。真冬先生の中で成幸君の存在が大きくなりすぎているということがよくわかります。

 

本当に感慨深い。最初のころは「10年早い」とか言っていた真冬先生が今は「(気持ち的には今でも大丈夫なんだけど、教師と生徒だから)数か月早い」と無意識に考えてしまうまで来たわけですよ。

 

そのうえで、お風呂に入りながら成幸君と入ることを妄想している真冬先生。今は「教師と生徒である」ということで自分の気持ちにブレーキをかけていますが、成幸君が卒業した後ならばもう自分の気持ちに向き合うしかなくなることでしょう。そうなったときに真冬先生がどういう形で自分の気持ちと折り合いをつけるのか、それが今から楽しみです。

 

そもそも真冬先生は「恋愛みたいな普通のこと」を捨ててスケートをしてきた人間なわけですから、こう「気持ちは認めたけどどうしたらいいかわからない」みたいな展開になるのも魅力的ですね。

 

獄丁ヒグマ、打ち切りの理由を3つ考える(週刊少年ジャンプ感想/2019年24号②)

獄丁ヒグマが今週号で終わりましたね。

 

私はこの作品はすごく「惜しい」作品だったと思います。少なくとも私は最後まである程度好きでした。(昨今の打ち切り作品で言うならば、君を侵略せよ!の次くらいに好きです)

 

やっぱり最終話直前のヒグマの過去話はすごく良かったと思います。理想を抱いていた小さな少年が、その理想を壊され、現実に打ちのめされた後にもう一度立ち上がるストーリーは胸を打ちましたし、演出も良かったと思います。

 

ただ、その最終話直前以外の部分がとにかくつまらなかった。正直最初の三話と最後の数話以外は読んでいても目が滑ることが多かったですし、中だるみがとにかくひどかったと思います。

 

それなので、打ち切られたことそのものは仕方なかったと思っています。が、それでも最後数話は面白かったと思いますし、それも含めて「惜しい」作品だったかなと思います。

 

個人的に、ヒグマの「よくなかったところ」は以下の3点にあると思います。

 

①バトルがとにかくつまらなかった

②主人公の魅力が分かりづらい

②主人公の「目的」と「信念」を描くのが遅かった

 

 

①バトルがとにかくつまらなかった

 

これが個人的にかなり大きかったと思います。ヒグマの過去編は面白いと言いましたが、最後の赤鋼との戦闘は正直に言うとつまらなかったです。

 

何故つまらなかったのかを他作品と比べながら考えてみたのですが、おそらく「主人公能力のコンセプト化」を行っていなかったことが一つ大きな要因だと考えられます。

 

「主人公能力のコンセプト化」とはすなわち、「主人公のどこがすごいのかを明確にすること」とも言い換えられます。

 

例えば、私が常々少年漫画の教科書だと思っているドクターストーンでは「主人公は科学知識が凄い」と明確に定められています。暗殺教室だと「スピードがすごい」ですね。

 

バトル漫画で言うならば、ブラッククローバーは「身体能力と反魔力、あきらめない心」ですし、鬼滅の刃は「呼吸による身体能力と鬼の不死性を無効化する刀」です。呪術廻戦だと「素の身体スペック」ですね。

 

これらの漫画では、繰り返し主人公の「どこがすごいか」を描写し続けています。実際に戦っているところで見せたり、周囲の人物も「あれがすごい」とセリフやリアクションで見せたりします。

 

これがあると、単純にバトルにメリハリが生まれます。駆け引きも生まれます。そして、バトルで「何の活躍を見ればいいか」が明確に分かりやすくなり、バトルを見る楽しさが生まれます。

 

が、それがヒグマにはなかった。

 

正直主人公の能力が何だったのか、どこがすごかったのかは未だにわかってません。なんとなく「剣に変形する手と瞬間移動と腕がいっぱい」くらいしかわかりません。これではバトルで「何の活躍を見ればいいのか」がまるで分らなくなってます。

 

例えば、「ヒグマはあの13の腕を持っている。その能力は多岐にわたる。その多様性こそが奴の武器だ」みたいに言われていれば、敵が「多様性へ対処する方法を考える」という形で駆け引きが生まれるようなことがあったのではないかと思ってます。(まあ言うだけなら簡単なんですけどね)

 

 

②主人公の魅力が分かりづらい

 

これも、①とつながっているんですが、「主人公の能力のコンセプト化」はそのまま「主人公のどこに憧れるか」を明確にします。

 

ぶっちゃけて言うならば、人は誰しも「憧れる人物になりたい」んです。千空みたいに科学知識で人助けをしたいし、アスタみたく馬鹿にされながらもあきらめない心で這い上がりたいんです。これを叶えてくれるのが「感情移入」です。

 

だからこそ、感情移入の対象に「何か憧れる部分がある」ことは非常に大切なんです。

 

よく欲望に負けて闇の力に手を染めたキャラが叩かれるのも、「感情移入の先としてふさわしくない」からだと考えるとしっくりきます。(私はそういうキャラ好きですけど)

 

だからこそ、「コンセプト化」されていなくて「どこに憧れればいいのか」がわからなかったヒグマは厳しい戦いを強いられたのでしょう。

 

 

③主人公の目的と信念を描くのが遅かった

 

個人的に思うことは、ヒグマは過去編を最初にやればよかったんじゃないかということですね。

 

少年漫画では「目的」と「信念」は非常に大切で、これがうまく書けていないとすっころびます。しかもやっかいなのが、「信念」と深くリンクした「目的」じゃないと意味がないということです。

 

例えば、結構前に打ち切られた田中は、主人公の目的が「唐突に出てきたやつに押し付けられたもの」でしかなかったので面白くないものでした。そうではなく、例えば千空の「科学への信念」とそれに基づいた「科学で全人類を救う」という目的や、炭治郎の「家族愛」とそれに基づいた「妹を人間に戻す」という目的のような、そのキャラクターのパーソナリティと結びついた心の底からの目的が少年漫画には必要です。

 

そして何より、これは読者が物語に入るうえで重要な「芯」となるものなので、1話に片鱗だけでも描写しとかないとキツい。そうしないと読者が物語に入れなくなります。

 

が、ヒグマにおいてそれが描写され始めたのは過去編が始まった時。もうあのころには打ち切りが決まっていたでしょうし、正直遅いと言わざるを得ません。

 

ネオレーションもそうでしたが、特に一話で別の人間を視点に持ってくるやり方も相まって「主人公がどういう信念を持っているのか」「主人公がどんな目的を持っているのか」が見えなかったので、本当にただ人を助ける物語にしか見えなかったのは本当によくなかった。

 

そして、主人公がどういう理念をもって動いているのかが分からなかったので、我々読者は「ヒグマがどういう人物か」を知る機会が極めて少なかった。そして、知りもしない人物を好きになることはないというわけです。

 

ただ、最終話を通して過去が明らかになると、「どういう信念を持っているのか」「どういう目的があるのか」が明確になって、ヒグマがかなり魅力的なキャラクターになってました。だからこそ、やはり「この過去編を最初にやっておけば……」という思いを抱かざるを得ないです。

 

 

以上3点、私が思うヒグマの打ち切りの理由です。

 

本当に最後の過去編は面白かったと思うので、ぜひ本誌でもう一度帆上先生の作品を読みたいと思っています。帆上先生、お疲れさまでした。

 

……あとちょっと余談ですが、「人の内面、寂しさを描く」という作風が、人気の高い「鬼滅の刃」と被っていたのも結構な不運だとは思います。正直中だるみしている間は「劣化鬼滅って感じだ……」って思ってましたし。同時期に作風のかぶる人気作があるというのもこの作品にとっての向かい風になっていたのかもしれません。